長野日報 8月27日
7月にまさし茶屋に行きました。
その時に運を使い果たしたかと思うくらいラッキーな事がありました。
その翌日、諏訪へ行きました。
原田泰治美術館開館20周年記念コンサートに参加しました。
そこでもまた素晴らしい出会いがありました。
旅日記にも書きましたが、コンサート終了後、お蕎麦を食べてからとあるスナックに行きました。
とても暖かいマスターが「アルコールがだめなら珈琲だけでも」と誘ってくださいました。
そのお店で大歓迎を受けて大変感動しました。
さだまさしファンが遠くから来ているなら是非という事で美しいご婦人をマスターが紹介してくださいました。
「私もさっきまでコンサートに行ってたのよ」というご婦人は
「主人が長野日報に勤めているんです。 もしよろしければ、長野日報に諏訪の旅の思い出か何か記事を書いてくださいませんか?」
といういきなりの申し出。
まあ社交辞令だろうと思っていました。
同行してた三人は、「ブログ書いてるんだからこういちままさん書けるわよ」などと面白がって焚きつけるし、
私もいい気になって、「信州の宣伝みたいな旅行記は無理だけどさださんの事なら書けるかも」 などと大ぼらを吹きました。
まあその夜限りのお互いの冗句だと思っていました。
所が東京から帰ってすぐに、原稿依頼のお手紙が届きました。
もうびっくりです。
しかも、お会いしたのは、長野日報の社長夫人で、編集者ではなく社長直々にお手紙をくださいました。
こんなに熱いお気持ちを読むとさだまさしファンとしてはひと肌もふた肌も脱がないと(気持ち悪いから止めてくれ!ですよね(笑)
行けません。
地方新聞社の気持ちが伝わってきました。
しかし丁度孫と一緒に帰ってきていたり、そのあとミニ雅志君一家が来たりして、なかなか落ち着いて書けませんでした。
ばあばは夏休みの宿題を引き受けてしまったので、あたふたあたふたでした。
8月初め頃、深夜、やっと重い重い腰を上げました。
もう時間はその日しかないので、一気に書きました。
さっと見直しただけです。
よく考えたり、読み直したりしていると、ダメな部分ばかりが目立つので、書き直さなくては行けなくなります。
そこでもう思い切って編集者に丸投げしました。
「誤字脱字の添削と、拙い文章は勝手に自由に書き直してください」と手紙を添えて送りました。
さてばあばの宿題は合格だったのでしょうか?
受け取ったことは丁寧にお知らせくださいました。
どうも本当に掲載されるようです。
こりゃ参った!
マズイ!恥ずかしい!
山頂の写真が使われるなら他の人にも断わりを入れなくては。
何を書いたんだっけ!
もう忘れてるよ!
その後全く音沙汰がないので、やっぱりボツかなあなんて思っていたら、
とんでもないことが起きました。
29日午前、郵便番号は違ってるし、住所は〇〇町までしか書かれていないはがきが諏訪から届きました。
諏訪に住んでいるファン歴20年という方からです。
27日の長野日報を見て、名前と住所(町まで)送ってくださいました。
ここで驚きです。
町までしか書かれていない住所で、我が家に届いたのです。
郵便番号も違うし。
いくら小豆島が離島でド田舎だからと言って、これで届くのですね。
恐るべし日本郵便!
島では有名人なんじゃない?とか言われましたが、私は島では超大人しくしてるのです(笑)
たまたま配達の方が知ってたのかな?
そういえば一つ向こう隣りには郵便局勤めの人がいました。(あとで気が付きました(笑)
ハガキの内容は
「諏訪にはもっと観光するところも沢山あるので、穴場も知ってるので是非また来てください。案内します」
というような内容です。
こちらは27日に掲載されたことすら知らないのに、さっそく新聞を見ての反響があったのです。
驚いて驚いて、長野日報へ電話しましたよ。
そしたら「すでに新聞を送ったので、もうすぐ届くでしょう」というお話でした。
そしてもみほりょうすけさんのライブから朝帰りし、数時間後に届きました。
勿論この話をみほさんにもしました。
「〇〇さん、まさし茶屋といい、本当に持ってますね。」って。
この運をみほさんが売れる事に使えれば良いのにね。
ばあばの小学生並みの夏休みの宿題です。
さださんの事ばかりで、信州の観光アピールにちっともなっていないので、テーマから外れすぎてますから不合格ですね。
みなさんの点数は如何でしょう?
コメント待ってます。
追記
さだ愛だけは込めました(笑)
追記
新聞を送って下さったお礼の電話をして、新聞をブログに掲載することの了解をお願いしました。
社長様は 「是非お願いします。 全国のさだまさしファンの皆さんに読んで頂きたいです。信州にも来ていただきたいです。」という
温かいお言葉で承諾してくださいました。
僭越ながらオープンで掲載させていただきます。
その時に運を使い果たしたかと思うくらいラッキーな事がありました。
その翌日、諏訪へ行きました。
原田泰治美術館開館20周年記念コンサートに参加しました。
そこでもまた素晴らしい出会いがありました。
旅日記にも書きましたが、コンサート終了後、お蕎麦を食べてからとあるスナックに行きました。
とても暖かいマスターが「アルコールがだめなら珈琲だけでも」と誘ってくださいました。
そのお店で大歓迎を受けて大変感動しました。
さだまさしファンが遠くから来ているなら是非という事で美しいご婦人をマスターが紹介してくださいました。
「私もさっきまでコンサートに行ってたのよ」というご婦人は
「主人が長野日報に勤めているんです。 もしよろしければ、長野日報に諏訪の旅の思い出か何か記事を書いてくださいませんか?」
といういきなりの申し出。
まあ社交辞令だろうと思っていました。
同行してた三人は、「ブログ書いてるんだからこういちままさん書けるわよ」などと面白がって焚きつけるし、
私もいい気になって、「信州の宣伝みたいな旅行記は無理だけどさださんの事なら書けるかも」 などと大ぼらを吹きました。
まあその夜限りのお互いの冗句だと思っていました。
所が東京から帰ってすぐに、原稿依頼のお手紙が届きました。
もうびっくりです。
しかも、お会いしたのは、長野日報の社長夫人で、編集者ではなく社長直々にお手紙をくださいました。
こんなに熱いお気持ちを読むとさだまさしファンとしてはひと肌もふた肌も脱がないと(気持ち悪いから止めてくれ!ですよね(笑)
行けません。
地方新聞社の気持ちが伝わってきました。
しかし丁度孫と一緒に帰ってきていたり、そのあとミニ雅志君一家が来たりして、なかなか落ち着いて書けませんでした。
ばあばは夏休みの宿題を引き受けてしまったので、あたふたあたふたでした。
8月初め頃、深夜、やっと重い重い腰を上げました。
もう時間はその日しかないので、一気に書きました。
さっと見直しただけです。
よく考えたり、読み直したりしていると、ダメな部分ばかりが目立つので、書き直さなくては行けなくなります。
そこでもう思い切って編集者に丸投げしました。
「誤字脱字の添削と、拙い文章は勝手に自由に書き直してください」と手紙を添えて送りました。
さてばあばの宿題は合格だったのでしょうか?
受け取ったことは丁寧にお知らせくださいました。
どうも本当に掲載されるようです。
こりゃ参った!
マズイ!恥ずかしい!
山頂の写真が使われるなら他の人にも断わりを入れなくては。
何を書いたんだっけ!
もう忘れてるよ!
その後全く音沙汰がないので、やっぱりボツかなあなんて思っていたら、
とんでもないことが起きました。
29日午前、郵便番号は違ってるし、住所は〇〇町までしか書かれていないはがきが諏訪から届きました。
諏訪に住んでいるファン歴20年という方からです。
27日の長野日報を見て、名前と住所(町まで)送ってくださいました。
ここで驚きです。
町までしか書かれていない住所で、我が家に届いたのです。
郵便番号も違うし。
いくら小豆島が離島でド田舎だからと言って、これで届くのですね。
恐るべし日本郵便!
島では有名人なんじゃない?とか言われましたが、私は島では超大人しくしてるのです(笑)
たまたま配達の方が知ってたのかな?
そういえば一つ向こう隣りには郵便局勤めの人がいました。(あとで気が付きました(笑)
ハガキの内容は
「諏訪にはもっと観光するところも沢山あるので、穴場も知ってるので是非また来てください。案内します」
というような内容です。
こちらは27日に掲載されたことすら知らないのに、さっそく新聞を見ての反響があったのです。
驚いて驚いて、長野日報へ電話しましたよ。
そしたら「すでに新聞を送ったので、もうすぐ届くでしょう」というお話でした。
そしてもみほりょうすけさんのライブから朝帰りし、数時間後に届きました。
勿論この話をみほさんにもしました。
「〇〇さん、まさし茶屋といい、本当に持ってますね。」って。
この運をみほさんが売れる事に使えれば良いのにね。
ばあばの小学生並みの夏休みの宿題です。
さださんの事ばかりで、信州の観光アピールにちっともなっていないので、テーマから外れすぎてますから不合格ですね。
みなさんの点数は如何でしょう?
コメント待ってます。
追記
さだ愛だけは込めました(笑)
追記
新聞を送って下さったお礼の電話をして、新聞をブログに掲載することの了解をお願いしました。
社長様は 「是非お願いします。 全国のさだまさしファンの皆さんに読んで頂きたいです。信州にも来ていただきたいです。」という
温かいお言葉で承諾してくださいました。
僭越ながらオープンで掲載させていただきます。